1995年にプロトレックが誕生。
常に進化を求められるカシオの精神と現場を知って開発する
フィールドワークという考え方のもとで
改良が繰り返されていた。
そんな中、プロトレック開発陣と竹内洋岳が出会い
2005年、竹内はPRW-1000を装備しシシャパンマ(8,012m)に登頂。
プロトレックが竹内と共に初めて登頂を果たした8,000m 峰となった。

PRW-1000

PRW-1300

竹内による超高所8,000m峰登山での初めての使用感等のフィードバックを受け、プロトレックの最大のデメリットが厚さであることに着目。

薄型化を改良テーマの中心として基本性能のひとつであった2層液晶を取り除くことを決断。2007年にPRW-1300が発売となった。

登頂ダイジェスト!

プロトレックが
竹内と共に登頂を果たした 8,000m峰

2005年5月7日
シシャパンマ
2006年5月14日
カンチェンジュンガ
2007年5月19日
マナスル

PRX-2000T MANASLU

取り除いた2 層液晶の機能を、方位の視認性を高めるための重要機能として、さらに改良。

単層液晶の前作PRW-1300 よりも薄いボディで2重液晶の復活に成功。
満を持して2009年にPRX-2000T MANASLUが発売となった。

2008年7月8日
ガッシャブルムII峰

PRW-5000

登山中、時刻は非常に重要な情報。
時間の感覚はアナログ時計の方が視覚によって直感的に認識できる。
そのため、アナログ時計ユーザーにはプロトレックの魅力が伝わりにくかった。

そこで、デジタルに針をつけるのではなくアナログ化を目指し開発を進め、2010年PRW-5000が完成した。

※竹内氏未着用。
この時期の竹内氏登山時装着モデルはPRX-2000Tです。

2008年7月31日
ブロードピーク
2009年5月20日
ローツェ

PRX-7000T MANASLU

PRW-5000のヒットに安住することなくさらに竹内をはじめ、アナログユーザーの声を収集。

液晶パネルに頼らず、アナログ針だけで、全ての情報を表示することに挑戦し、真のアナログ時計への進化を目指した。
そして、2012年PRX-7000T MANASLUが発売となった。

2011年9月30日
チョー・オユー
2012年5月26日
ダウラギリ

日本人初の14サミッター
竹内洋岳と共に14座目となる
ダウラギリに登頂した
PRX-7000T MANASLU。

撮影:中島ケンロウ

PRX-7000T MANASLUは、
竹内洋岳と共に2012年5月26日に
日本人初8,000m峰14座完全登頂の
まさに14座目となる『ダウラギリ』へ登頂。
記念すべきモデルとして歴史に刻まれた。

プロ登山家 竹内洋岳と共に歩んできた
プロトレックは挑戦する者にこそ相応しい
ハイスペックウォッチへとさらなる高みへ進化を遂げている。