人生は先の見えない
アドベンチャー

プロアドベンチャーレーサー 田中 正人 Masato Tanakaプロアドベンチャーレーサー 田中 正人 Masato Tanaka

国内にアドベンチャーレーサーの
プロと呼べる選手は
どれほどいるのだろう?

これまで様々なアスリートを取材してきたが、アドベンチャーレーサーに話を聞くのは初めてだ。
はたして、国内にプロと呼べる選手はどれほどいるのか?
そう問うと、田中正人からは意外な答えが返ってきた。
「いないです。一応うちのチームはプロ集団と言ってますけど、あくまでそれは自称なので。純粋にレース活動だけで食べていくのは難しい。どうやって食べているんですかって質問が一番返答に困りますね」

この世界では国内トップの実力と経験を持ちながら、レースの賞金だけではとうてい暮らしていけない。
収入面を地図読みの講師やラフティングのガイド業に頼らざるを得ない状況を、田中は淡々と受け入れているように見えた。

田中 正人

極限を通して見えたもの

極限を通して見えたもの

極限を通して見えたもの

そもそもアドベンチャーレースとはどのような競技であるのか。
「ひと言でいえば、アウトドアスポーツの複合競技です。トレッキングやマウンテンバイク、カヌーなどのパドリング、それにロープを使った岩登りが基本。それらを必ず、男女混成チームで競います。大きなレースだと距離は800km以上、期間も1週間から10日はかかる。リレー形式ではないので、ずっと一緒に行動するんですね。いったんスタートすれば夜間もノンストップなので、想像している以上に過酷ですよ」

その過酷さを思い知ったのは、初めてアドベンチャーレースに参加した94年のことだ。当時、田中は化学薬品メーカーに勤める会社員だったが、休日を利用した参加した第1回日本山岳耐久レースで優勝し、その実績を買われて「レイドゴロワーズ(アドベンチャーレースの元祖)」に初挑戦する日本チームに誘われたのだった。
リーダーはタレントの間寛平氏で、田中はそのサブ。1週間以上もボルネオのジャングルを彷徨い、すべてのチェックポイントを回るのに500kmあまりを走破したと話す。
「完走はできたんですけど、チームとしてはぜんぜん機能しなくて。僕としては自分の至らなさを思い知らされたレースでした。あの温厚な寛平さんが終わった後に円形脱毛症になったくらい。人間のエゴや本性がむき出しになるのがアドベンチャーレースなんですね」
道なき道を駆け、川にぶつかればズブ濡れになって渡渉する。頼りになるのは己の身と地図やコンパスだけ。下着の替えすら持たず、夜通し歩き続ける中、ついには精神が崩壊しかけた仲間もいたという。

不思議なのは、それだけの極限状態を体験してなお、競技にのめり込んでいったことだ。田中はレイドゴロワーズに参加した翌年の暮れ、会社に退職届を出している。
もちろん理由は、アドベンチャーレースにもっと出たいがためだった。
「それくらい、私にとっては強烈な体験だったんです。もう無条件で、ここが自分の成長できる場所だと感じてしまった。7年くらいサラリーマンをやったけど、たった一度のアドベンチャーレースで得た体験にかなわなかったんです。このまま普通の会社員で一生を終えちゃダメだって。だから辞めることにあまり迷いはなかったですね」

登山家が時計に求めるもの

Photo:Koichi Miyagami

人生は冒険に次ぐ冒険

運動音痴で、鈍くさい−−。
田中は自身の少年時代をそう振り返る。
小学生のころは女のコよりも駆けっこが遅かった。中学は卓球部に所属。高専時代に遅ればせながらある才能が開花する。
友人に誘われ、オリエンテーリング部に顔を出すと、そこで地図読みの楽しさを発見。次第に卓球部からは足が遠のいた。
「最初は遊び感覚だったんですけど、山の中を走って宝探しするような競技性が面白かった。普通なら登山道から外れるなんてあり得ないじゃないですか。そのタブーをおかしている感覚も新鮮でしたよね」
つきつめれば、アドベンチャーレーサーに必要な才能とは、苦しいことや辛いことに直面したとき、創意工夫でそれを楽しみに変えてしまうところにあるのだろう。

地味な地図読みの魅力を滔々と語り、卓球部時代のしごきや、あるいは会社を辞めてからの苦労話を、心の底から楽しそうに語る田中の姿を見ていてそう思う。
退社後、レースに必要な乗馬の技術を学んだ際には、こんな方法を取ったとか。
「馬はお金がかかるから、早稲田の馬術部に潜り込みました。1年生と同じ扱いでいいから、馬に乗せてくれって頼み込んで。そうしたら、本当に1年生と同じ扱いで、朝から晩まで馬の世話ばかり(笑)。でも、そのおかげで馬の習性を掴むことができた。蹴られそうになったら離れずに近づく。そうすれば馬って蹴れないんです。そんなこと一般の乗馬クラブでは教えてくれないでしょ」
走るだけでなく、乗馬やダイビング、地図読みなど、あらゆるアウトドアスポーツに精通していなければアドベンチャーレースで勝つことは難しい。そのため競技者のピーク年齢は30代後半とも言われるが、すでに田中は四十路を過ぎた。
肉体的な旬は過ぎた、という自覚もある中、どんな目標を描いているのか。この質問にも、意外な答えが返ってきた。
「目標は引退です。現役を引退して、監督とかマネジメントとか、もっとたくさんの人がレースに専念できるような環境作りを後押ししたい。性格が悪いと絶対に勝てないレースって、面白いと思いませんか? 興味のある方は、ぜひ連絡を下さい(笑)」

About PROTREK

「某メーカーの有名ブランドとか、たまに防水を謳っていても、中に水滴が入ることがあるんですね。その点、プロトレックの信頼性は揺るぎません。雨に打たれても、激流にのみ込まれても、絶対に壊れない。おまけに電池交換の必要もないでしょ。過酷な条件になればなるほど、私には欠かせない相棒です。丈夫さは、間違いなく世界一の基準ですね」

PRW-3000

PROTREK開発者から見たアンバサダー Developer’s Note

標高を1m単位で測れるようにしてほしい。
ボタンを押してから表示までの時間を短くしてほしい。
そんな田中さんからの要望を受け、
2013年モデルから1m単位での計測、1秒表示が可能になっています。
スマホと違い、プロトレックは充電いらず。
電池の消耗を抑えながら、いかに多機能を実現するか。
田中さんと我々の挑戦に、終わりはありません

プロアドベンチャーレーサー 田中 正人 Masato Tanaka

プロアドベンチャーレーサー
田中 正人
Masato Tanaka

1967年埼玉県生まれ。1993年に第1回日本山岳耐久レースで優勝。レイドゴロワーズ・ボルネオ大会で日本人初完走を果たす。アドベンチャーレーサーとして数々の海外大会で実績を残してきた日本の第一人者。2002年に「イーストウインド・プロダクション」を設立。海外レースへの参加と国内アドベンチャーレースの普及に邁進。1秒間隔・1m単位の高度計測機能やベアリングメモリーなどのテクノロジーには田中氏のレースにおける使用体験の数々が活かされている。

チーム イーストウインド 田中正人 公式サイト
www.east-wind.jp


取材・文:小堀隆司 / 撮影:廣田勇介 / 企画・プロデュース:嵯峨純子(ART OFFICE Prism Inc.) / 撮影協力:珈琲亭しなだ http://www.shinada.server-shared.com/