山ひと筋に生きて

登山インストラクター 岩崎 元郎 Motoo Iwasaki登山インストラクター 岩崎 元郎 Motoo Iwasaki

自らの年齢を明かし、
朗らかに笑う。

「あっというまに70になっちゃった。古希って聞くと、自分でもびっくり。まだまだ動けるうちに、何とかしないとね……」
憂えるまなざしの先にあるのは、登山を取り巻く様々な問題について。山ブームに沸く昨今、未熟な登山者によるマナー違反や遭難事故が増えている。
1981年に無名山塾を開き、口酸っぱく苦言を呈してきた”大衆登山のカリスマ”は、今そこにある危機に神経を尖らせていた。
「この前も転んで動けなくなった人がいたから助けたんだけど、その仲間に聞いたら名前も知らないって。ネットで知り合って集まったと言うの。よく名前も知らない仲間と山登りができるよね(苦笑)。互いを知るのってすべての基本じゃない。そういう意味でも、きちんと教えられる人が重要なんです」
厳しいことを話しているが、表情は柔らかい。耳に痛い話でも岩崎の言うことだから聞こうか——。そう思わせるのも、この笑顔があってのことだろう。

岩崎 元郎

どんな人生を歩んできたのか

どんな人生を歩んできたのか

どんな人生を歩んできたのか

誰しもにある、無名時代。岩崎の原点もここにある。
少年期を過ごした1950年代、地球上にはまだ空白地帯がかすかに残されていた。日本隊が8000m峰14座のひとつ、マナスルの初登頂に成功したのが1956年のこと。朝日新聞に『氷壁』(井上靖)が連載中だったこともあり、空前の登山ブームが起きた。

その影響で山登りに興味を覚えた岩崎は、友人に誘われて訪れた河口湖のキャンプでついに目を覚ます。大学進学と同時に昭和山岳会へ入会。そこで登山のイロハを学び、急速に沢登りや雪山にのめり込んでいった。
だが、前のめりに山登りにいそしんでいたこの時期、気持ちが折れそうになったことがないわけではない。大学生のころ、父親が逝去。仲間を雪崩で失う辛い経験もした。
「そんなのもあったし、25,6才のころかな。当時はまだ長谷川恒男さんがいて、植村直己さんもいたでしょ。周りはすごい人ばかりでさ、自分が立つ瀬なんてどこにもなかったわけ。もう山はいいかな。ふとそう思ったんだよね」

信頼を寄せていた親戚のオジに、岩崎は進路の相談をした。山に見切りをつけて、新たな一歩を踏み出すべきかどうか。
振り返ればここが、人生の分岐点だった。
「僕は元郎だから、『もと君』と呼ばれていたんだけど、おじさんが言ったの。『もと君、続けていたら良いこともあるよ。また新しい人生が拓けるよ』って。その一言がなかったら、山ひと筋の人生にはなっていないよね」
オジの説得で辛うじて山の世界に踏みとどまると、岩崎はさらなる高みを目指した。
1981年、メンバー6人の登山隊を率い、ネパールのニルギリ南峰に挑む。この遠征が大きな転機となった。
いわゆるカルチャーショックを受けたんです、と岩崎は話す。
「ネパールは貧しい国だけど、みんな楽しそうに暮らしていて。貧乏ってなんだ? 幸せな人はどんな状況でも幸せじゃないか。そう思って、決心がついたんだよね」
遠征に出る前、けじめとして会社を辞めてきた。帰国後はまた再入社する予定だったが、それをアルバイト契約に変えてもらった。退路を断って、決意を固めたのだ。
山の松下村塾を夢見て、無名山塾を立ち上げたのはそんな折である。

山の塾で伝えたかったこと

山の塾で伝えたかったこと

くしくも時代は再びの山ブーム。山歩き講座の講師を依頼され、それを引き受けたことがさらなる幸運を呼び寄せた。
「ある日、NHKのディレクターから電話があって、テレビ番組の山歩き講座の講師を探していると。でも、あのころのオレは一般的には無名でしょ。よくそんな男に声をかけてくれたなと思う(笑)。社会の空気も今よりずっと大らかだったんだね」
好評を博した番組、『中高年のための登山学』でコンビを組んだみなみらんぼうさんは良き理解者。幕末の志士のごとく、登山塾から世界へ飛びだした若者もいる。

これまで教えてきた生徒は数知れず。足かけ30余年に渡り、講師として切々と説いてきたこととはなんだろうか。
「よく言うのはね、せっかく山を始めたんだったら、山がすべてという人生を送ってほしいと。他の趣味を全部辞めて、お金と時間のすべてを山に賭けて下さいって。そう言うとみんな笑うんだけど、今の自分があるのはそうしてきたおかげだよ。あの時、オジのいうことを聞いて良かったと思うもの」
老いてなお、山への情熱は微塵も失われていない。中高年には「安心・安全で楽しい登山」の魅力を説き、若者には「もっと命がけの登山をしろよ」と発破をかける。

インタビューの最後に、何歳くらいまで山に登っているイメージがありますかと問うと、その答えが奮っていた。
「東京近郊にもまだ行ってみたい山がけっこうあって。仕事ではなく、今後は自分のための山登りをもっとしていきたい。まあ、あと10年はもつかなぁ(笑)」

About PROTREK

「プロトレックの何が良いって、まずはソーラーですよね。電池が突然切れるという心配がないから、僕みたいなずぼらな性格の人間にはピッタリ。機能としてはやはり、山で方位計をよく使います。道迷いが増えているのは、こまめに方位をチェックしないから。ワンプッシュで方位と気温と標高がわかるトリプルセンサーはすごく便利ですよ」

PRW-6000

PROTREK開発者から見たアンバサダー Developer’s Note

ダイレクト計測ボタンを開発する切っ掛けは、岩崎さんからのアドバイスでした。
以前は一つのボタンを何度押すかで機能を切り替えていたのですが、
『それでは直感的に使えない』と。
ワンプッシュで方位と気圧、高度が測れるのは今やなくてはならない強みです。
岩崎さんはアドバイザーであり先生。じつは私、無名山塾の生徒の一人なんですよ

登山インストラクター 岩崎 元郎 Motoo Iwasaki

登山インストラクター 岩崎 元郎 Motoo Iwasaki

1945年東京生まれ。
1963年、昭和山岳会に入会し登山のノウハウを学ぶ。1970年、蒼山会を創立。
1981年、ネパールヒマラヤ・ニルギニ南峰登山隊に隊長として参加。
同年11月、登山学校+山好きのサロンという新しいコンセプトで「無名山塾」を設立。
NHK教育テレビ『中高年のための登山学』に1995~99年まで講師として出演。
著書『沢登りの本』『日本登山大系』『日本百名谷』『今そこにある山の危険』他多数。
日本を代表する登山インストラクター。

岩崎元郎の月刊岩崎登山新聞
http://www.iwasaki-motoo.com/


取材・文:小堀隆司 / 撮影:廣田勇介 / 企画・プロデュース:嵯峨純子(ART OFFICE Prism Inc.)