感性の趣くままに

プロフェッショナル・マウンテンクライマー 花谷 泰広 Yasuhiro Hanataniプロフェッショナル・マウンテンクライマー 花谷 泰広 Yasuhiro Hanatani

撮影:佐々木大輔 2014年7月 ヨーロッパアルプス、 モンブラン フレネス中央岩稜終了点にて。

根っこにあるのは、
登山への傾倒だ。

小学生のころ、地元神戸市の登山教室に足繁く通った。中学生になっても、研修生という名目でその教室に通い続けた。
週末を中心に、年20回ほど。「そこで岩登りやキャンプを体験したのがすべての始まり」と花谷は話す。
「学校の先生がボランティアでやってくれていたんですけど、中には岩山が好きな先生もいて、僕が『行きたい』というと連れていってくれました。学校の授業や友達と遊ぶことよりも、そこでの活動が最優先。ただ楽しいという理由だけで通ってましたね」
楽しさから始まった山登りが、少年を健やかに育み、やがて世界的クライマーへと成長させていく。その原点が、自宅の裏山であったというのが面白い。
「神戸はそういう街なんですよ。日本のロッククライミングの聖地でもあるし、高校にもちゃんと山岳部があって。インターハイにも出たけど、読図以外に炊事の審査や天気図を書く項目があるんです。テントを10分以内に立てるとか、体力も知識も問われる。そこで身につけたことってけっこう大人になってもバカにならないんですね」

花谷 泰広

極限を通して見えたもの

撮影:佐々木大輔 2014年7月 ヨーロッパアルプス、 モンブラン南面にて。

いつもそこに山があった

いつもそこに山があった

花谷の名前が一躍世間に知られたのが2013年のこと。登山界のアカデミー賞にも喩えられるピオレドール(金のピッケル賞)を受賞し、権威の後ろ盾を得た。
ピオレドールはその前年に行われた登攀の中で、他の規範となるような優れたクライミングをした登山隊に贈られる。花谷は年上の馬目弘仁、年下の青木達哉とチームを組み、ネパールヒマラヤにそびえ立つキャシャール(6770m)南ピラーの初登攀に成功した。

自らも会心の山登りができた、というこのキャシャール遠征。花谷にとって、成功の基準とはどのようなものだろうか。
「自分が登りたいと思えるか、否か。そこがすべてですよね。これを登ったら有名になれるとか、社会的などうのこうのは一切ないです。強いて言えば、世界中のクライマーに羨ましがられたい、っていうのはありますけどね(笑)」
まるで子どもの自慢比べ! だが、それこそが偽らざる登山のモチベーションであろう。

振り返れば、人生のいわゆる分岐点で、花谷はことごとく自らの”好き”を優先させている。
高校進学の際は、兵庫県内でもっとも強い山岳部があるという理由で学校を選んだ。
信州大に進んだのも似た理由からで、それはずばり、登りたい山が大学の近くにたくさんあったからだ。卒業までに6年かかった理由については、こう語る。
「山以外は何もしてないですからね。2年休学して、ヒマラヤ2回とアラスカ、アンデスとヨセミテに1度ずつ。ちょうどうちの大学が継続的に海外登山に出かけている時期で、運も良かった。先輩方と大遠征隊で行った登山もそれはそれで楽しかったですよ」

卒業後も就職はしなかった。富士山での強力や、現在の本業である山岳ガイドなど、時間の融通が得られやすい状況に身を置いたのは、めぐってくるチャンスを仕事を理由に断りたくなかったからだ。
当時、同世代では誰よりも多くの場数を踏んでいた自負がある。ある意味、自分を最強と思い込んでいた。そう、思い込みでした、とやや自嘲気味に話す。

インドヒマラヤのメルー中央峰(6310m)でトップクライミング中に墜落し、靱帯断裂の重傷を負ったのは28歳の時だ。
心の転機となった大ケガ——。
このとき初めて、花谷は1年半もの間、山から離れる生活を送っている。
「よく死ななかったですよね。当時は行きたいという気持ちばかりが先行して、自分の力を過信していた。この事故がなければ、どっかのタイミングで僕は死んでいたと思います。この事故があったからこそ、世間知らずな自分を見つめ直すことができた。危険と困難が違うってことを、思い知らされました」

会心の登山に至るまで

会心の登山に至るまで

危険と安全の線引きは難しい。100%安全な登山など、そもそもありはしないだろう。
山からの大きなプレッシャーをいかに受け止め、恐怖を賢明な判断に変えられるか。そこに、クライマーの真骨頂はある。
2年後に再挑戦し、メルーの頂で涙したとき、あるいはピオレドールを受けた2012年の登山でも、こんな場面があった。

頂上直下の岩壁へ至る、砂糖菓子のようにもろいシュガースノー。
巨大なヒマラヤ襞を前に進むか、退くかの局面で、花谷はあらゆる技術と経験を使ってトップを引いた。
慎重に、粘り強く。核心部を抜け、ベースを出てから6日をかけてようやくたどり着いた頂は、
これまでのどの山とも違う、不思議な感慨をもたらしたと話す。 「その時思ったのは、山登りって自分たちの力だけで登れるものではないということ。技量は最低限身につけておくべきもので、山のコンディションにも恵まれてないと難しかったり、天気が良くないと登れなかったりする。メンバーとの出会いもそう。色んな要素が重ならないとああいう登山って成しえない。何かご縁があって登らせてもらったような、自然とありがとうございましたって気持ちが湧いてきた。登り終えてしみじみそう思ったのは、初めての経験でした」

自らが登りたい山を見つけ、格好良いラインを引き、持てるだけの荷物を担いでひと筆書きに降りてくる。
花谷が山に賭ける情熱は幼いころとなんら変わっていない。変化したのはむしろ、山との向き合い方だろう。
今後の目標について謙虚に語る表情は、仏のように柔らかかった。
「もう一度、ああいう登山ができればサイコーだけど、ああいうのってなかなかできないとも思う。1回でもめぐり合えた僕はラッキーなのかもしれません」

About PROTREK

「こいつ(プロトレック)の一番優れた点は壊れないことなんです。僕の場合、山登りの道具に求めるのはまず丈夫かどうか。そして、デザインが良いこと。自分が気に入らないものを持ち歩きたくないですからね。プロトレックは一度も壊れたことがないし、2012年の遠征にも持っていきました。タフでデザインが美しいのが、お気に入りの理由です」

PRW-3000

PROTREK開発者から見たアンバサダー Developer’s Note

以前、花谷さんが愛用していたプロトレックを参考資料に預からせてもらいました。
プロの登山家が使うとどんなところに傷が付き、どんなところが消耗するのか、参考にさせていただきたくて。
かなりサイズダウンしたとはいえ、厳しい現場で使うには、まだ今のプロトレックではサイズが大きい。
薄さと小型化の追求は、永遠のテーマかもしれません

プロフェッショナル・マウンテンクライマー 花谷 泰広 Yasuhiro Hanatani

プロフェッショナル・マウンテンクライマー
花谷 泰広
Yasuhiro Hanatani

1976年兵庫県生まれ。日本山岳ガイド協会認定・山岳ガイドステージⅡ。幼少の頃から六甲山に登り、登山に親しむ。1996年にラトナチュリ峰(ネパール ・ 7035m)に初登頂して以来、世界各地で登山を実践。2012年に成功したキャシャール峰(ネパール・6770m)南ピラー初登攀が評価され、第21回ピオレドール賞、第8回ピオレドールアジア賞を受賞。2015年より若手登山家養成プロジェクト「ヒマラヤキャンプ」を開始、2017年より甲斐駒ヶ岳黒戸尾根の七丈小屋の運営を開始するなど、国内外で幅広い活動を展開中。

Hanatani Yasuhiro Professional mountain climber & Guide
first-ascent.net


取材・文:小堀隆司 / 撮影:廣田勇介 / 企画・プロデュース:嵯峨純子(ART OFFICE Prism Inc.) / 撮影協力:DILL http://dilleatlife.com/