想像の翼を広げて
正確な天気予報を

気象予報士 猪熊 隆之 Takayuki Inokuma気象予報士 猪熊 隆之 Takayuki Inokuma

「とにかく当たる」と評判の、
山岳気象のエキスパートだ。

予報は国内だけにとどまらない。必要とあれば、遠く離れたヨーロッパアルプスやヒマラヤまで。トレッキングツアーを企画する旅行会社や山岳ガイドの求めに応じて、精度の高い天気予報を提供している。
その原点について訊ねると、猪熊は少しはにかむようにして応えた。
「もともとは地図が好きだったんですよ。小学校の低学年でもう、世界地図を空で描けるくらいに。でも、そのうち地形ではもの足りなくなって。天気は毎日変わるし、天気図の方が複雑でしょ。雪の降り方だって、新潟では北より南の方がよく降るんです」
新潟と神奈川の両県を家庭の事情で行ったり来たり。「田舎で育った」少年は、天気の不思議さに魅せられる一方、山への興味を募らせていく。本で読んだ沢登りに憧れ、親に小さなウソをついて、丹沢の葛葉川本谷へ出かけたのは小学5年生のころだ。
「一人では怖かったから、妹を連れて。なんとか入渓口は見つけられたんだけど、小さい妹が登れる沢ではなかったんですね。そしたら単独行の見知らぬオジさんが追いついてきて、一緒に上まで連れていってくれたんです。途中で辺りは暗くなるし、子どもの背丈では登れない場所もあって。オジさんのロープやヘッドランプがなければ、迷って帰れなかったかもしれない。散歩に出かけたと思っていた親には、すごく怒られました(笑)」

猪熊 隆之

傷だらけの半生

傷だらけの半生

傷だらけの半生

こんなエピソードからは腕白でたくましい少年の姿を思い浮かべるが、意外にも本人は病弱だったと振り返る。
進学した中央大で山岳部に入ったのは、弱い体と精神を鍛え直したかったから。入部当初は体を壊していた影響もあり、体重が40㎏そこそこしかなかったと話す。
「もう激痩せ状態で、ひどかった。当時の写真を見ると気持ち悪いくらい。山岳部が私にとってのリハビリ場所でした」
山の清冽な空気で元気を取り戻すと、見る見るうちに体は頑強に。だが、3年生の冬にアクシデントが待っていた。富士山での合宿中、屏風尾根で突風に体ごと持ち上げられ、滑落。一時行方がわからなくなったのだ。
「250 から 300mくらい滑落しましてね。一緒に落ちた仲間は救助されたんだけど、意識を失って私の居場所を言えなかったんです。それで、私の居場所を特定できず、その日の捜索は打ち切られました。結局、足が折れた激痛と体感温度マイナス 30 度以下の寒さに耐えながら、着の身着のままビバークしたんです。」
冬の富士山でなんとか耐えることができたのは、それまでの雪上訓練の賜物であっただろう。救助の手が入ったのは、翌日の昼過ぎ。だが、そこからがまた地獄だった。怪我の状態は想像以上にひどく、骨は粉砕し、血は凍ってブーツの中で凍傷になっていた。

手術もまた、困難を極めたという。出血が多量すぎて、全身麻酔が打てない。体を磔のように固定されたまま、痛みで失神しては目を醒ますという凄まじい状況下で、抗生物質をひたすら投与された。ようやく本番の手術に入れたのは、救助から2週間が経った日のことだ。
「開放骨折の場合は6時間以内に完全にふさがないと感染症のリスクが高まるんです。でも私の場合は、助け出されるまでに30時間以上が経ってましたからね。もうそれ以上延ばしてもどうしようもないというので手術したんですけど、やっぱり後からそのときの後遺症が出てしまいました」

その手術から12年後、猪熊は慢性骨髄炎を発症し、登山をすることができなくなった。再び痛めた足にメスを入れると、骨の中からは当時の砂が出てきたという。
「よく12年も持ちましたよね。その時、人工の骨を入れていたというのも初めて知ったんです。でも、お医者さんには感謝してますよ。切断やむなしという状態から、歩けるようにまでしていただいて。あの時の痛みを思い返すと、今でも背中の辺りがすーっと寒くなりますけどね」

患部の骨を切除し、新たな骨と筋肉と血管を移植する手術は10数時間にも及んだ。聞いているだけで怖くなるような、これほど辛い体験をしてなお、山登りに駆り立てられたのはなぜなのか。
富士山でのケガの後、猪熊はエベレスト西壁などヒマラヤの大岩壁に果敢に挑戦。慢性骨髄炎の手術後も、少し体調が良くなるとすぐに日光や筑波山へ山登りに出かけた。
「ひとつは、自分の限界を見てみたかったんですね。竹内(洋岳)さんとか同世代が次々に海外の山を登って、素晴らしい成果を上げていた。自分もそんな体験をしたかったし、見たことがない景色を見てみたかった。」
「それに、病気をして初めてわかることもたくさんあるんです。それまではハイキングとかをバカにしていたけど、森とか花って本当はすごく魅力がある。友達もたくさん病院に見舞いに来てくれて、自分が一人じゃないってことに改めて気づかされました」

正確な予報でサポートしたい

正確な予報でサポートしたい

希望は誰かに与えられるのではなく、自ら創り出すことでしか生まれないのかもしれない。骨を失っても気骨を持ち続けたからこそ、猪熊は次の一歩が踏み出せた。「気象予報士を目指す」という選択は、暗闇に差しかけたひと筋の光だった。
「骨髄炎と闘っていくうちに、完治が非常に難しいことや、入退院を繰り返さなければならないことが分かってきました。このままでは、普通の生活を送ることすら難しい。山以外に自分にできそうなことは何か……それは子どもの頃から興味を持ち続けてきた天気だろうなって閃いたんです」

2度目の挑戦で難関の気象予報士に合格すると、気象予報会社勤務を経て、2011年に独立。登山に詳しい山岳気象予報士として、今や多くの顧客を危険から救う立場だ。
この仕事の醍醐味を聞くと、口調がにわかに明るくなった。
「たとえば竹内さんのヒマラヤ登山隊に予報を出すときは、現場からの実況も貴重な判断材料になるんです。電話口から向こうの息づかいも聞こえてくるし、ただ予報を出している感じではなくて、一緒に予報を作りあげている気がするんですね。無事に登って、降りてきて下さったときは、一緒に登山させてもらったような気持ちにもなる。それってすごくうれしいことなんですよ」
過去を振り返るときよりも、予報の話をしているときの方が表情はずっと生き生きしている。
思わず信頼を寄せたくなる、深みのある笑顔だった。

About PROTREK

「山登りをしていた時は主に高度計を重宝していたんですけど、この仕事をするようになってからは方位計をよく使います。天気予報で大事なのは、まず風向きを知ること。風が吹く方向に時計を合わせ、ボタンを押すだけなので簡単ですよね。風向きの変化に気圧の変化を組み合わせば、天気の兆候だってつかめます。ゆくゆくはこれを、歩く小型気象観測機にしたいですね」

PRX-7000

PROTREK開発者から見たアンバサダー Developer’s Note

ここ何年かのモデルには猪熊さんとの話し合いの中で生まれた機能がいくつか付いてます。
あるボタンを押すと時計が気圧のモニタリングをしてくれて、
急激な上がり下がりが起きたときにアラームで知らせてくれます。
今開発中の機能もいくつか……。
精度を上げるための改善努力は、カシオの社訓ですから

気象予報士 猪熊 隆之 Takayuki Inokuma

気象予報士
猪熊 隆之
Takayuki Inokuma

1970年新潟県生まれ。株式会社ヤマテン代表。中央大学山岳部監督。国立登山研修所専門調査委員及び講師。チョムカンリ(チベット)、エベレスト西稜(7,700m付近まで)、剣岳北方稜線全山縦走などの登攀歴がある。日本テレビ「世界の果てまでイッテQ」の登山隊やNHK「グレートサミッツ」、東映「草原の椅子」など国内外の撮影をサポートしているほか、山岳交通機関、スキー場、旅行会社、山小屋などに配信し、圧倒的な信頼を得ている。

山の天気予報 株式会社ヤマテン
www.yamatenki.co.jp


取材・文:小堀隆司 / 撮影:廣田勇介 / 企画・プロデュース:嵯峨純子(ART OFFICE Prism Inc.) /
撮影協力:蓼科花ファクトリー  https://www.facebook.com/madam.chiaki/  http://www.tateshinakougen.gr.jp/places/422/