時計をめぐる
プロ登山家の考察

プロ登山家 竹内 洋岳 Hirotaka Takeuchiプロ登山家 竹内 洋岳 Hirotaka Takeuchi

「秘密基地へようこそ」

そう言って、竹内洋岳がにこっと微笑む。
都心にあるベースキャンプ、いわゆる仕事部屋におじゃまするのは初めてだ。
古びたマンションの一室がきれいにリフォームされ、リビングにはヒマラヤ登山に行くたびに持ち帰っためずらしい調度品が並んでいる。

目を引く球体は、地球儀ではなく天球儀。この金色に光る物体は何だろう?
「これはね、サハールという魚の鱗です。ネパールまで釣りに行ったんだけど、面白かったなあ。三度目の訪問にして、ようやく自分の手で釣り上げました」
東京を拠点に、世界各地の高峰へ。遠征はまさしく地球規模である。
2012年、日本人として初めて8000m峰14座完登を成し遂げたことは記憶に新しい。厳しい山行に身をやつしながら、決して旅本来の楽しみを忘れないのが竹内流だろう。

これまでもベースキャンプにラジコンヘリなどを持ち込み、「実験」と称した遊びを試みてきた。昨年は未踏峰のマランフラン(6570m)初登頂に挑んだが、その際もこんなことをして楽しんだと話す。
「今回はラジコンのボートを持っていきました。オモチャですけど、すごくスピードが出る。で、さんざんやってたら氷河湖の真ん中で電池切れになって。なんとか回収できたんですけど、それだけで丸一日経っちゃってましたよ(笑)」
自他ともに認める、メカ好き。時計に興味を覚えたのも幼稚園のころから、というから筋金入りだ。

サハールという魚の鱗

祖父の懐中時計が切っ掛け

祖父の懐中時計が切っ掛け

祖父の懐中時計が切っ掛け

プロトレックアンバサダーの中でも、竹内は特別な存在である。登山における使用状況を伝えるだけでなく、開発現場にも積極的に顔を出す。その卓抜とした意見は時に海千山千の技術者をうならせるほど。そもそもなぜ、時計に愛着を持つようになったのか。
「子どものころ、私は体が弱かったんですね。それこそ幼稚園にも通えなくて、一日中ベッドで寝ていたほど。明るいうちから寝かされて、やることがないじゃないですか。そんなときに母のブローチを使って、窓から差し込む光を天井に反射させて遊んでいた。ときには祖父が大事にしていた懐中時計を持ち出して、それを布団の中で(夜光塗料の部分を)光らせたり。今もそうですけど、手の平にのるサイズの硬いものになぜかすごく惹かれるんですよ」
じつにほのぼのとしたエピソードだが、一流の登山家に不可欠な空想力は、この時期に深く育まれたに違いない。

竹内はやおら椅子から立ち上がると、化石や鉱物などが置かれた飾り棚の引き出しをあけ、そこから何かを取りだした。
「これが小学生の時に初めて買ってもらった時計です。スヌーピーの絵柄がついていて、ゼンマイで動く。昔のゼンマイ時計って格好良いですよね。一度コケたときにガラスが割れたんですけど、わざわざ修理に出したくらい愛着があります」

コレクターにはとうてい及ばないと言いつつ、引き出しからは他にも時計がたくさん出てくる。その多くは骨董市やアンティークショップで購入したものだ。
はたして、竹内が時計を選ぶ基準とはどのようなものだろうか。
「まずはデザインですよね。これなんかはイギリス製だけど、プロダクトとして単純に美しい。半世紀以上も前に作られたものがこうして代々人の手に渡ってきたのは、やっぱり取っておきたい魅力があったからだと思う。プロトレックもいつか、こんな風にならないかなと。何十年も取っておきたいと思わせる魅力を形に込めたいんです」

登山家が時計に求めるもの

登山家が時計に求めるもの

竹内がどんな要望を伝え、技術者がそれにどう応えてきたのか。プロトレックの進化の過程を見れば、両者の目指してきた志向性がより鮮明となる。
アンバサダーの重職に就いたのが2004年のこと。そのとき支給されたのが、初めて電波ソーラー化を実現させたPRWー1000だった。
「これはよく覚えてますね。当時の最新技術をすべて盛り込んだモデルで、でも形状が分厚すぎた。山で使うとロープやスリングに引っかかってとにかく煩わしい。だから私は、『腕にはめず、首からぶら下げて使いました』って、やや皮肉を込めて使用状況を伝えたんです」
自信を持って送り出した商品が、登山時の腕時計としては使い物にならない。それを聞いた時の、開発者の受けたショックは計り知れないものがある。

さらに竹内は、二重液晶が分厚さの要因になっている、と当時の最新技術の肝を否定するかのような厳しい意見を述べた。
「そうしてできあがったのが一重液晶に戻した次のモデルです。努力の甲斐あって、ようやく登山家が使える時計になったわけですけど、技術者の本当の意地を見たのはその後です。2009年のスリムモデルは液晶を二重に戻した上で、さらに一重液晶よりも薄くなってましたからね」
一度は断念した技術を、進化させることで再び世に放つ——。これぞ、技術者の意地とプライドが成せる技であろう。
竹内の言葉を借りれば、「使い手と作り手のせめぎ合い」が次の革新を生む土壌であるように思う。

その後、2013年に発表されたPRW-3000を、竹内はエポックメイキングな製品と高く評価した。
「この時のこともよく覚えていて、宣伝文句に大きく『消費電力90%オフ』と書いてあったんですね。てっきり消費電力が従来の90%に抑えられたんだと思ったら、一気に10分の1にしましたって。私はカシオの皆さんに怒ったんですよ。こういう凄い技術は少しくらい出し惜しみしなさい。まずは50%カットくらいでもよかったんじゃないですかって(笑)」
センサー自体の小型・省電力化、その他の部品の軽量化などで消費電力を抑えつつ、なおかつユーザビリティに磨きをかけたのだ。竹内が続ける。
「私もさんざん無理な要望を伝えてきましたけど、それを実直に受け止めて、応えてくれたのはたいしたもの。お互いの信頼関係ができてから、進化のスピードがより速くなったように感じますね」
たとえ相手にとって耳の痛い話でも、真摯に意見を戦わせることで良いものができる。それはなにも、開発の現場に限ったことではない。プロ登山家と応援してくれるファンとの関係もまた然りだ。

14座完登で世間の注目を集め、次なる山行が期待される竹内に、今後の目標について訊ねると、サッカーを対象の俎上に載せてこう述べた。
「たとえばサッカー中継を見ていると、素人の観客がいろいろ言うじゃないですか。『10番、下手くそ—』とか(笑)。でも、それを言われたプレイヤーは、できもしないお前が言うなとは思わないわけです。そう見えるんだなということで切磋していく。批判を受けることで、どんどん技術が向上していくんですね。登山もできればそうでありたい。山登りをスポーツとして理解する人がもっと増えて、プレイヤー側もその声援に応えていく。ひいてはそれが登山全体の底上げにつながっていくと思うんですよ」

地球上にあるすべての8000m峰を登っても、まだまだ登りたい山が尽きることはない。
次なる目標はマランフランへの再挑戦。頂に立てば、今度は人類初の偉業達成となる。
「8000m峰が高さならば、マランフランにはまた未踏峰という圧倒的な個性があります。やっぱり、まだ誰も足を踏み入れていない場所にはこの足で立ってみたい。未知なる山とのせめぎ合いはすごく楽しいです!」

PRW-3000

PROTREK開発者から見たアンバサダー Developer’s Note

プロトレックに10,000mの高度を測れる機能が必要か否か。
誰もがヒマラヤを登るわけではないですが、時計の進化として必要なことだと考えています。
厳しい山の現場で試されるからこそ、もの作りは進化する。
竹内さんの厳しいダメ出しが、私たちを鼓舞してくれています。
今や竹内さんはプロトレックの総合プロデューサー的存在。
プロ登山家の信頼を勝ち得ているギアを、ぜひより多くの方々にも使って頂きたいですね。

プロ登山家 竹内 洋岳 Hirotaka Takeuchi

プロ登山家
竹内 洋岳
Hirotaka Takeuchi

1971年東京都生まれ。
一気に頂上を目指すアルパインスタイルを積極的に取り入れた少人数・軽装備の登山で一時期に複数のサミットを狙う登山スタイルで知られる。
2012年5月26日、日本人初の8,000m峰14座完全登頂に成功。
竹内氏の過酷な環境下での使用のフィードバックをもとに、PRX-8000は開発された。

www.facebook.com/hiro14takeuchi

竹内洋岳プロデュース映像プロジェクト 「The Real Climbing」公開中 
www.ranacosta.net


取材・文:小堀隆司 / 撮影:廣田勇介 / 企画・プロデュース:嵯峨純子(ART OFFICE Prism Inc.)